御由緒
当神社は鎌倉の末期堀尾氏当地に移り住し熱田宮別宮八剱宮の御分霊を勧請し奉り祀した、
世々熱田宮へ神饌米を供奉したその因縁を以て御供所村と云伝う、尚、朱烏慶雲の頃熱田宮大祢宜物部吉磨は堀尾氏の出身であると云伝えられる。
当社の御造営の記述は永徳2年壬戌年(1382)なり、改築改修等度々行なわれた記述がある。
寛永11年甲戌年(1638)雲州堀尾但馬守は当地に来り堀尾帯刀屋敷跡を社地(約8町歩)に寄進し社殿・拝殿等を新築寄進せらる。
以後2度の改築改修が行なわれ昭和7年より昭和10年に至る昭和の大改築が行なわれ現在となっている。
御祭神
日本武尊,大日霊尊,菊理姫尊
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